功利の怪物は悪なのか、ということを考察します。
功利の怪物とは
功利の怪物とは、思考実験で登場する怪物です。
功利の怪物は普通の人よりも1,000倍の幸せを感じることができる空想上の怪物です。最大多数の最大幸福を掲げる功利主義の問題点を指摘する思考実験です。
もしケーキが1つしかなかったとしたら、最大の幸福を得るためにそれを功利の怪物に与えるべきであると考えることができます。ケーキが2つであっても、2つとも与えるべき。功利の怪物が一般人よりも多くの幸福を得ている限り、功利主義では大多数の人々を不幸にし、功利の怪物だけだ幸せである状態になります。
さて、この功利の怪物は大多数の人々を本当に不幸にしてしまうのでしょうか。
ミラーニューロン
ミラーニューロンとは
ミラーニューロンとは、霊長類などの高等動物の脳内で、自ら行動する時と、他の個体が行動するのを見ている状態の、両方で活動電位を発生させる神経細胞です。
誰かが泣いているのを見ると悲しくなったり、笑顔を見ると自分も楽しくなってくるのもこのミラーニューロンの働きだと言われています。
ミラーニューロンとは、相手の気持ちに同調して自分の気持ちに反映する機能といえます。
感情は感染する
よくボランティアをやっている人や、献身的な人が「人が嬉しそうにしているのを見ると、自分も嬉しくなる」というようなことを言っていますが、これもミラーニューロンが強く働いていると考えると納得がいきます。
旅行に行きお土産を買って帰ったことがある人であれば分かるかもしれませんが、お土産を渡したときにぶっちょう面で受け取る人と、嬉しそうに受け取る人がいますが、嬉しそうに受け取る人にはまた買ってこようという気持ちになりますよね。
これは嬉しそうにしている人を見ると、自分も少し嬉しくなるからだと思います。
ミラーニューロンのおかげで、他人の幸せは自分にも感染し、自分の幸せに変換されると考えることができます。
幸せの度合い
同じことを経験したり、同じことを人にされたりした時に感じる幸せは人によって異なります。小さなことで幸せを感じる人もいれば、感情の起伏が小さく少しのことでは幸せを感じない人もいます。
そして、ミラーニューロンによる感情の感染する度合いは、感情の度合いにも比例し大きな幸せはより大きく幸せを感染させると言われます。
つまり、小さなことでも幸せを感じる人は、より大きく人を幸せにする、他人に幸せを感染させる、と考えることができます。
思考実験「功利の怪物」の盲点
思考実験の中では最大多数の最大幸福を求めるため、普通の人よりも1,000倍の幸せを感じることができる功利の怪物に施しをすることにより、大多数の人が不幸になると結論付けています。はたしてそうなのでしょうか。
ミラーニューロンの働きを考慮すると必ずしもそうとは限らないと思われます。
功利の怪物が幸せを感じると、ミラーニューロンにより感情が感染して他の人も幸せにしていると考えられるためです。
計算してみる
前提条件を仮に以下とします。
功利の怪物:1つのケーキで1,000の幸せを感じる。
ミラーニューロンの働き:人の感情の50%が感染する。
パターン①:一般人が1つのケーキを食べる場合
功利の怪物は一般人の幸せが感染して、1×0.5=0.5の幸せを感じます。
パターン②:功利の怪物が1つのケーキを食べる場合
一般人は功利の怪物の幸せが感染して、1,000×0.5=500の幸せを感じます。
計算してみると、一般人においても功利の怪物にケーキを与えたほうが幸せを感じるということになりました。思考実験では大多数の人が不幸になるとしていますが、実はそうではないと言えるかもしれません。
実在する功利の怪物
実在する功利の怪物とは、赤ちゃんや子供です。
彼ら(彼女ら)は、一般人(大人)に比べて感受性が非常に高く感情の起伏が大きいです。ちょっとしたことでもぐずって泣いてしまったり、ちょっとしたお菓子でも大喜びしたりします。
大人がついつい子供にお菓子をあげてしまいたくなるのは、同じお菓子を自分が食べて感じる幸せよりも、子供がお菓子をもらって喜ぶ姿を見るほうがよっぽど幸せになるからだと思います。また、楽しそうな子供がいるだけで、殺伐とした空気が和むことがあります。
子供(功利の怪物)は、自分が幸せを大きく感じるだけでなく周りの人たちを幸せにしているのです。
共感力と利他主義
共感力の差
ミラーニューロンによる感情の感染の度合い、すなわち共感力は人によって異なります。人の感情に共感しやすい人もいれば人の気持ちが全くわからないという人もいます。
実際に共感性羞恥という他人の失敗を自分事のように感じてしまう感覚を持った人や、サイコパスのように人の気持ちが全くわからないという人が存在しています。
このことからも感情の共感力は人によって差があり、また感情の種類によっても差があると考えることができます。(共感性羞恥:羞恥の感情の共感力が特に高い、サイコパス:全体的に共感力が低い)当然、幸福に関して共感力が高い人も存在すると考えることができます。
共感力と利他主義
幸福の感情の共感力が強い場合は、利他主義に傾くのではと考えます。逆に他人に関する共感力が低い場合は、利己主義に傾くのではと考えます。
例えば、またケーキを例に考えてみましょう。前提条件を仮に以下とします。
Aさんのミラーニューロンの働き:人の幸せの200%が感染する。
Bさん:1つのケーキで1の幸せを感じる。
Bさんのミラーニューロンの働き:人の感情の50%が感染する。
パターン①:Aさんが1つのケーキを食べる場合(BさんがAさんにあげた場合)
BさんはAさんの幸せが感染して、1×0.5 = 0.5の幸せを感じます。
パターン②:Bさんが1つのケーキを食べる場合(AさんがBさんにあげた場合)
AさんはBさんの幸せが感染して、1×2 = 2の幸せを感じます。
このように、Aさんは自分でケーキを食べるより、Bさん(他人)にケーキをあげたほうが幸せになることができます。逆にBさんはAさん(他人)にケーキをあげるより、自分でケーキを食べたほうが幸せになることができます。
この場合、Aさんは他人にケーキをあげることを選び、Bさんは自分でケーキを食べることを選ぶのではないでしょうか。なぜならば、その選択のほうが自分の幸福の度合いが大きくなるからです。そして、このときAさんは利他的なふるまい、Bさんは利己的なふるまいとなるわけです。
もちろん、現実はこんなに単純な話ではなく、ケーキを食べるときの幸福の感じ方もひとによって変わります。共感力が高くても、ケーキがすごく好物であれば自分で食べる選択を取るかもしれません。
また、今回はケーキを食べることを例に挙げましたが、例えば困っている人を助ける行為なども、助けることによる労力と時間的損失などと、その人が困っている姿を見て自分が受ける共感的な苦痛、および助けることによる温情効果(他者を助けることが自分の喜びになるという効果)などを天秤にかけるなど、複雑な要素が絡むと思います。
このように、他人になんらかの施しをすることとしないこと(あるいは自分に対して行うこと)を天秤にかけ、他人に対して行為を行うほうが自分にとって幸福度が高くなる場合に利他的な行動になると考えられます。
そして、幸福に関する共感力が高ければ高いほど、利他的な行動を選択するシチュエーションが多くなるという訳です。
こう考えていくと、利他主義とは広い意味では利己主義であると言えなくないです。利己的に自己の幸福を行いを求めた結果、利他的な行動を選択したほうが自己の幸福が高くなるというだけで、自己の幸福を求める点では利己主義と同義と言えます。
さいごに
共感力と利他的行動、そして人間の生存戦略的なことも考えてみたいですが、いったんここまでにしたいと思います。
功利の怪物は大多数の人を不幸にするもではなく、ミラーニューロンすなわち共感力のはたらきにより、むしろ大多数の人を幸福にする可能性があります。
人は幸せな人を見ると、それだけで幸せになれる生き物です。
小さなことでも幸せになれるようになると、自分が幸せになれるだけでなく周りを幸せにすることができます。
汝よ、功利の怪物たれ。
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